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大好きな本のこと。

そろそろ 心の疲れが 限界を超える。

 

どうしても 電車が怖い。電車に乗るくらいなら、線路に飛び込んだ方がマシだと よく思う。外が怖くて、生きているのが 辛い。こうして、文字にして書くだけでも、嫌な記憶がフラッシュバックして 手が震えて 吐き気がする。

 

薬も飲んでいるし、大丈夫、大丈夫と言い聞かせても、発車する直前になって、電車を降りてしまう。それを繰り返すのが、たまらなく虚しくて悔しい。今日はそれを5回繰り返して、大学に行くことを諦めた。2時間くらいホームで泣いていたと思う。

 

小さい頃から、「寂しい 誰かに会いたい 話したい」という気持ちが薄かったけれども、ここ数年で完璧に消失した。最後に「寂しい」と感じたのは、13歳くらいだったと 思う。

一日中家の中で一人で楽しく過ごす方法を、私は完璧に習得してしまった。2か月間の春休み、土日にバイトに行く以外、ほとんど誰とも会わずに家で過ごしていたけれど、少しも飽きることはなかった。外に出なければ、パニックの症状に襲われることはない。(けれどもさすがに今日は落ち込んだから、家で何をしても面白くない。明日には治っているといい)

 

こうして、だんだんと 人は「私」の記憶を忘れていき 「私」は死んでいくのだろう。そのことを 少しだけ悲しいと感じるだけの 心の余裕は まだあるみたいだ。

遺志 本のこと

最近、死にたいと思うことが増え、それがあまりに増え過ぎて、ほぼ1日中になってしまった。

 

電車に乗るのが怖い。人混みが怖い。いくら薬を飲んでいるとはいえ、何年も怖かったものが急に怖くなくなることはない。横浜駅に着いた時点で冷や汗をかいている。日吉に着く頃には吐き気と悪寒がする。帰りの電車では調べ物をしたり、くだらない小説を書いたりして、必死に気を紛らわす。(本を読んだり音楽を聴いたりする心の余裕は無い。自分の頭や指を使っている方が気が紛れる。) 家に永遠に帰り着かないのではないかと感じる時もある。

 

会いたい人に会えない。行きたいところに行けない。やりたいことができない。何て無意味な人生なんだろう。

 

以前は普通にできていたことが、年々 日に日に できなくなっていく。今は12分モノレールに乗って大船駅に行くことは問題無くできるけれど、きっと近い将来それすらも怖くなる。実際、12年間ほぼ毎日乗り続けてきたモノレールに、若干恐怖を感じることが 最近はある。

家の近くの図書室に行くことも怖くなる。家から出られなくなる。部屋から出られなくなる。誰にも会えなくなる。そしたらもう、死んだも同然ではないか。

 

明日になったら少しは良くなるかもと信じて毎日生きているが、悪化の一途を辿るばかりで、そろそろ限界に近い。自殺するつもりは無いけれど、衝動的に行動に移す可能性は否定できない。(誰しもそうだけれど)

 

心に引っ掛かるのは、やはり本のことだ。読書が嫌いというのは、悪いことではない。スポーツが得意な人と苦手な人がいるのと同じことだ。けれども、小さい頃から本が身近にあると、自然と本に興味を持つようになると思うのだ。スポーツに親しむのと同じように。図書室でたまに「こんな難しい本、読めないでしょ。」「いつも読み切れないから今日は3冊までね」と言うお母さんを見かけるが、非常にもったいないと思う。本だけは、子どもの望むものを、口出しせずに、好きなだけ与えてあげてほしい。みんなの子どもに、そうしてほしい。たまに背伸びして、本を通して大人世界を覗くのは本当に楽しい。そこには未知の世界が広がっているんだ。その楽しさを奪わないであげてほしい。「良くない本」と言って子どもから取り上げてしまう人が少なくない。

 

私は本で救われる人生があると信じている。多くの人に、本の魅力に気づいてほしいと思う。自分自身が高校1年生で本が大好きになり、それから今までずっと本に救われているから、そう思うのである。

繰り返し

朝起きて、モノレールに乗る。「今日は1限だけ出席したら学食で早めのお昼を食べて、本屋に寄って、喫茶店で読書や書き物をして帰ってこよう」 たいていそんなことを考えて、ワクワクしている。

 

大船駅に着く。調子が良い日は横須賀線、あまり良くない日は京浜東北線に乗る。東海道線には今は乗れない。今日は横須賀線で大丈夫だろう、と思って乗車するも、発車ベルが鳴る瞬間、胸にザワザワと不安と恐怖が広がる。慌てて降りて電車を見送る。無理だったか、と諦め、京浜東北線に乗る。横浜まで10駅以上あるため時間はかかるが、駅と駅の間の所要時間が短いためだいぶ楽だ。

 

横浜駅に着いた頃には、すでに肉体的にも精神的にも疲労が激しい。さらに人の多さに吐き気がしてくる。東横線のホームにたどり着くも、足が竦んで電車に乗ることができない。少し休憩しようとベンチに腰掛ける。何本も電車を見送っているうちに、「どうして私はみんなと同じように電車に乗れないんだろう」という無力感が襲ってくる。気がつけば大船駅に引き返している。大船駅に来ると心底ほっとする。適当に時間を潰して帰宅する。

 

何年も同じような毎日の繰り返しだ。まともに買い物もできない。買い物に集中しようとしても、「途中で具合が悪くならないだろうか、無事帰れるだろうか」という不安で徐々に頭がいっぱいになって、ロクに品物を見ることができない。今年の冬は一着も服を買えなかった。服選びは特に体力を必要とする。

 

いつか治る日が来るのだろうか。治る日が来るまで生きていけるだろうか。支えが本しか無い。

本だった。

私は両親と上手くいかなかった。

 

3才にもならなかった頃、電話中の母に話しかけてしまい、叩かれた。私の中の1番古い記憶で、よく覚えている。

19年間を振り返って思い出すのは、「社会に出ても何の役にも立たないゴミ」「バレエは時間と金の無駄。そんなにやりたかったら土下座しろ」「この子すぐに仮病使って気を惹こうとするから嫌い」 こんな言葉。私にも非があったかもしれないし、日々楽しい会話もあるが、辛い記憶は色濃く残る。

 

中学3年生の冬 1月3日 パニック発作を起こした。 (今から3週間ほど前、耐え続けることに限界を感じ、ようやく心療内科に通い始めた)

 自殺を考え始めた。これ以上拒絶されることが怖くて、誰にも心を開けなかった。学校では明るく振舞った。心が麻痺していた。他人に露骨に嫌われても何も感じず、好かれようとも思わず、また嫉妬することもなかった。人生をいつ終わりにしても良かったからだ。周りで起こるほとんどの事がどうでもよかった。くだらなかった。どうせ死ぬ。今でもこの辺りは変わらない。

 

 けれども、高校1年生の春、決定的な出会いがあった。本である。ipodが故障して、通学電車で手持無沙汰になった。私の1番の友達がすごく本が好きな子で、「私も読んでみようかな」と思った。友達に薦められて最初に読んだのが、浅田次郎の『王妃の館』。すぐに本の虜になった。

 それからずっと、本を食べて生きてきた。生きて、面白い本にたくさん巡り合いたい。だから生きる。本の面白さについて考えると言葉が喉に詰まってしまうから、あまり話さないし、ここに書くこともできない。

 

人生が苦しい人 本を手に取ってほしい。どんな本でもいい。図書館で眺めていて、ピンときた本。私がラッキーだっただけで、面白いと感じる本にいきなり出会う確率は低い。それですぐに読書を嫌いにならないで、粘り強く本を探し続けてみてほしい。世界はたくさんの素晴らしい本で溢れているのだから。

 

 

王妃の館〈上〉 (集英社文庫)

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